インテルへの手紙 - クリスティアン・キヴ

インテルへの手紙 - クリスティアン・キヴ

 ヴェローナでの大怪我からチャンピオンズリーグ優勝:現在ネラッズーリU17監督のキヴからインテルファンへの手紙

 左腕を動かせなかった。

 麻痺していた。

ストレッチャーに乗せられてピッチを去る時も意識を失うことはなかった。酷かったけど頭の働きは正常に動いていた。数多くの人たちが取り囲んでいた:チームメイト、医者、看護師、スタジアム全体が私を見ていたよ。まず妻、娘、家族への差し迫った考えがよぎった。彼らはTV見ていたから、彼らへのコミュニケーションの方法は一つしかなかったね:反対の腕を上げた。

 それは彼らに「大丈夫だ、すべては平気だ」と言うためだった。

 

cristian chivu viene trasportato in barella fuori dal campo dopo l'infortunio alla testa a Verona

 

 でも心の中では非常に強い不安感があった:また普通の人に戻れるのか?サッカー、実戦復帰、試合復帰のことは考えていなかったね。緊急措置の複数の段階を通して彼らは僕に話し始めた:手術、リカバリー、何が起きるか。

 男、父親、普通の夫に戻ることだけが唯一の望みだったよ。

 起きた時、ヴェローナにある病院の集中治療室にいた。キエーヴォ対インテル戦がどう終わった聞いたことは否定しない。少し混乱していた;バロテッリパンデフがゴールを決めたか思い出せなかった。ベッドに横たわって一つすぐ気がついた:元に戻るまで長い時間を要する。ヴェローナの病院を去った時に予期しなかったことは、ミラノの病院で更に3週間過ごさなければいけなかった。チェック、検査、多くの忍耐。そして何よりまたサッカー選手に戻ることに大事だったのは、再びフィットネスを取り戻すために必要だった術後のプロセスだった。

 は大事でないと思ったけど、それに多くを考えていない。あの傷は自分自身に戻してくれた旅路の兆しだよ。鏡で傷を見て、「最終的にお前はラッキーな男だ、楽観的になれよ」と言い聞かせた。ほとんど慰めの言葉だったね。

 大昔に自分の体を扱う術を習った:インテルに加入した時、肩が脱臼していた。手術を受ける時間はなかったし、そのシーズンはほんの僅かな接触で外れてしまう可能性があった肩で過ごしたよ。片方の腕のサポートないままプレーを強いられた。結果的に現役生活の中で合計13回の手術を受けた、でも決して諦めなかったね。

 実際のところ、頭部手術の決まり事は厳格であり、ピッチに戻るには試合のフィットネスが必要だ。 2010年1月6日のペリッシエールとの頭同士の衝突から、私は何度も実戦復帰を想像していた。でも復帰への道は複雑だったね。初ランニングは大変な瞬間だったよ。

 方向感覚がなかったから直進できず、転んでしまった。全てを再構築する必要があったんだ。

 タフだが優しさに溢れていたモウリーニョは「疑問や恐れを払拭する時だ、お前は大人だし成熟している」と言ったよ。当然ヴェローナ戦から77日後に先発イレブンに戻ることは予期していなかったね。しかしジョゼは私を復帰させる気にさせた。例えば彼は、チェルシー対インテル戦が開催されるロンドンに行きたいかどうか私に尋ねた。その質問が私を刺激し、軌道に戻す方法だったね。

 インテル対リヴォルノ戦9分、ハイボールのシーンがあった。私はジャンプしてヘディングした…ヘッドガードをしてね。サン・シーロは歓声で爆発した。代表チームデビュー戦より感情的になった;自陣の意味のないヘディングのためにこれまでに大きな拍手喝采があったスタジアムはなかったよ。

 

Cristian Chivu colpisce la palla di testa il 24 marzo 2010 in Inter-Livorno

 

ヘッドガードなしでトレーニングしていたが、試合では装着することを決めた。

その悪夢を払拭するのは難しい。

 ヘッドガードを装着すれば冷静さと安心さを貰えた。自分の形の保護だったね。だから当然、戦える準備はできていた。それでもストラップが窮屈ですぐに緩めた。そうしなければ呼吸することが無理だっただろうね。熱が籠るのは間違いないし、全く喜ばしいものではなかったけど、決して外さなかったよ。

 ヘッドガードを外したステージは1つあった:チャンピオンズリーグトロフィーに投げ入れたよ。ヘッドガードに加えて、全てを同トロフィーに押し込んだ:向き合った恐怖、疑問、犠牲。最高の夢と共に全てが現実となった。その時の涙は歓喜と解放感からだった。それは肉体的かつ精神的にも離脱期間の功績だったと言える。

マドリードに至る道のりは険しかった。両親の育て方、ルーマニアを離れたこと、アヤックスでの体験、怪我、敗北:生涯のすべての要素が必要だった。 恐れと苦悩。

 当時監督の父親はサッカー選手だった。でも良い繋がりある人物だと思わなかったよ。自分より年上の人たちと練習していたし、全力を尽くして彼らと張り合っていく必要があったよ。父は決して私を特別扱いしなかったね。朝に学校へ行って、午後は練習場への同じ道のりだったとしても、私には交通公共機関を使わせ、彼は車でピッチへ向かった。自己管理、犠牲、野望の教え方の一種だった。

 父との絆は強く、壊すことなどできないものだった。父に別れを告げた時のことを思うと、手が震えてくる。彼は最期の日々を家で過ごした。父と交わした最後の会話の最後の言葉まで覚えているよ:父は、私のミスによってチームがリーグ戦で失点してしまったことを批判した。私の父はそのような人だった。

 平日に試合があったので家を出ていた17歳のある日、電話がかかってきた:「早く帰ってきて、お父さんはもう長くない」。私は急いで帰り、そして間に合った:もう意識はなかったが、父はまだ生きていた。私は父に「お父さん、より良い人間になるために努力すると約束するよ。家族の面倒も見る。それに心配しないで、良いサッカー選手にもなる」と語りかけた。その少し後に、父は息を引き取った。その次の日、私は心に悲しみを抱えながらも、父のためにできるだけ良いパフォーマンスを出そうという思いでピッチに向かった。

 私にとって大きな意味を持ったこの試合で、私はルーマニア1部リーグで初めてのゴールを決めた。

 既に技術的には良かった。事実、最初のポジションはストライカー、次に司令塔、ミッドフィルダー、左サイドバック、そして最終的にセンターバックだった。現役生活の中で多くの役割を担うに助けとなった一連のプロセスだったね、それはインテルでもそうだった。絶え間無く考え、新しい目標を設けるこの方法はより刺激的だと思う。

 全ての動きを練習していた、1万時間ルールはサイエンスではない。でもその中に真実がある:左足と頭脳をトレーニングした。この視点から言えば、アヤックス・アカデミーは素晴らしい:選手を成長させ、自由を与え、判断決定と技術的な動きに関して鼓舞する。試合の読み方は知っていた、20歳超えた時だったが、クーマンは私が何を与えるか理解していたよ。彼はキャプテンマークをくれた。年上選手のバックを運んでから、長い道を歩いて来た。

努力は報われる。

 三冠を達成したチームの秘訣の1つは、私たちの毎日のトレーニングにある。長い間、アッピアーノ・ジェンティーレでのトレーニングは試合そのものよりも複雑だと考えていた。それは信じられないほど優れたチャンピオンとの戦いだ。トレーニングセッションによって我々の心構えが作られ、日曜日の試合を少し容易にした。

 グループの関係はとても良かった。アタランタ戦で距離のあるところから素晴らしいゴールを決めた時、強く痛む棘をまた1本抜くことができた。嬉しかったし、この状況が僕を落ち着かせ、自信を取り戻すことができた。それは全く意味のない試合というわけではなかった。この試合はバルサ戦1stレグと2ndレグの間に行われたが、このゴールはそれほど熱狂的に祝われはしなかった。全員が私のところに来て、純粋な喜びと共に「君こそ、最もこのゴールで報われるに相応しい選手だ」と言ってくれた。チームメイトは常に私をリスペクトしてくれた。それを忘れることはない

 

 ここまで読んできた人たちが知りたいのは三冠についてだろう、わかっている。我々は勝つか負けるかだけを意識していたわけではなかった:謙虚さと自意識をもって一歩ずつ進んできた。キエフ戦がなければそれは達成できなかっただろう。このことはもちろん、サンプドリア対ローマ戦にも言えることだ。この試合の前半は観ていた:ジャッロロッシが完全に優勢だった。そこで私はテレビを消した。パッツィーニの2得点を知ったのは、携帯のメッセージでだった。

 カンプノウでの試合を思い出すと、いつも笑ってしまう。自分がピッチに立つと思っていなくて、ロッカールームのベンチに座っていたら誰かが走ってきたんだ:「パンデフが負傷した、急げ、ウォーミングアップをするんだ。君がプレーする」。そこで私は1人でピッチに出たが、9万人以上の観客が私のウォーミングアップを見守った。準備のために素晴らしい方法だ・・・モウリーニョは4-2-3-1でプレーすることを告げ、私は「問題ない、必要ならゴールにも立つよ」と答えた。そして、あの時私は実際に5人目のDFとして左サイドでダニ・アウヴェスに注意しなければならなかったと、今ならこっそり打ち明けることができる。ところで多様性といえば、モッタにレッドカードが出された後、私は守備的MFとしてもプレーした。なんという偉業だろう、私にとってあのバルセロナは今でも最高のチームの1つだ。

 

Cristian Chivu esulta con il caschetto in mano con Samuel Eto'o

 それは単に昔からある挑戦ではなかった。マドリードでのロッベンの相手もそうだ:この決勝は私の頭を悩ませると人は言った。もちろん、チャンピオン相手の戦いだとわかっていた:速く、高い能力があって、アイディアに溢れている。だが、統計データを見ればいい。アリエン・ロッベンはクリスティアン・キヴを相手にゴールを決めただろうか?答えはノーだ。素晴らしいマネージメントで良い準備を行い、そして我々は勝利した。

 

Cristian Chivu sfida in velocità Arjen Robben a Madrid nella finale di Champions League

 身体に痣ができるほど、私は本当にインテルのために全力を尽くした。精神的にも肉体的にも、忘れられない思い出だ。ネラッズーリ・ファンは私がクルヴァの下でクラブのロゴにキスするところは見ていないかもしれない。しかし彼らは、負傷から復帰するため、あるいはチームとチームメイトの利益のための私の献身や努力を見ていた。

 これこそが今日、私がネラッズーリの若きスターたちに伝えようとしていることだ:自分の目的は自分自身で選ばなければならない。そして卓越した選手になるための努力は内側から湧くべきものだ。

 時間は待ってくれない。最善の形で準備を整えなければならない。

 私はそうした、ゴム製のヘッドガードを装着してね。

 

クリスティアン・キヴ

 

Cristian Chivu saluta il pubblico di San Siro con il caschetto in mano


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