Letters to Inter - Massimo Moratti

インテルへの手紙 - マッシモ・モラッティ

 今日75歳の誕生日を迎えた元クラブ会長からのメッセージ。

 マッシモ・モラッティは今日75歳になった 10年前、モラッティは65歳の誕生日を迎え、スタディオ・アルテミオ・フランキ開催の2009-10シーズンのリーグ最終節シエナ戦に臨んだ。ディエゴ・ミリートのゴールにより、ネラッズーリはクラブ通算18度目のスクデットタイトルを獲得し、その異例と言えるシーズンで2番目のトロフィーを手にした。 6日後のマドリードでインテルはチャンピオンズリーグ優勝を成し遂げて歴史的な3冠を達成した。1945516日にボスコ・キエサヌオーヴァで生まれたモラッティは1995年から2004年と2006年から2013年の間インテル会長、2014年まで名誉会長を務めた。今日は同氏の誕生日ということで、インテルへの手紙はモラッティから全インテルファンへの手紙となる。この特別な日にスティーブン・チャン会長とネラッズーリ一ファミリー全員がモラッティに多くの幸せが訪れることを望む。

 ビッグゲーム前に眠りに落ちることなかったが、眠る前に何度も最後に考えたことはインテルだった。幸せな考え、サッカーファンタジー…私はインテル選手が翌日体現するかもしれない動きとスキルの断片を視覚化していた。ファンの一人の様に考えていたね – それは心地よかった。次に翌朝はより現実的な問題に視点を切り替える:選択、決定、コミットメント。

このクラブの先頭に立つ責任にはどんな時もネラッズーリカラーへの愛情があった。

 このクラブの先頭に立つ責任にはどんな時もネラッズーリカラーへの愛情があった。そしてインテルファンの幸福度はクラブの試合結果次第だとよく理解していたが、自分の役割を重責や困難課題として見たことは一度もなかった。当然、敗北は忘れるのがより難しいから、勝利への良い感情以上に痛みを伴う。しかし私は常に自信を持って先を見据えていたよ。

 私はいつも試合を現地観戦しようとしていた。スタジアムにいる時は孤独ではないからね。他人と言葉を交わして緊張を和らげることも可能だし、試合の重要性から少し気を散らす手助けとなる。一方で私にとって家から試合観戦するのは常にずっと困難だった -  何よりもまず、直接現地観戦できない事実に失望していた。加えて試合を共有する人もいなければ、一緒に怒る人もいなかったからね。逆説的に言えば物事が順調に進まなかった時、誰もが私をクラブ会長だと知っていたが、私は1人の情熱的なファンの様に会長として問題を起こした。

 本当に我を忘れたことがあったか?そうだね、複数回 – それは認めざるを得ない。最も激怒した瞬間は - 怒りを爆発させる必要があると感じ、それを示す義務を感じた結果として自分の本当の気持ちを伝えた - 2009年チャンピオンズリーグのマンチェスター・ユナイテッド戦で同大会敗退に追い込まれた後だった。敗北時は負けを受け入れるが、その瞬間は一歩踏み出して行動に移す時だと分かっていた。

 これらすべての経験が成長するのに役立だった。素晴らしいパフォーマンスと最高のゴールの他に2009年8月のダービーを覚えている。我々はスーパーカップで敗北して、バーリと引き分けたトリッキーなシーズンスタートを切った後だったからだ。スナイデルの初試合で 強いチームを見たよ、信念が高めたチームだった。それはファンが夢見るものだ:自分の長所を知っているチーム。

 それでも最も覚えているミラノダービーは本当に苦しめられた試合だった。同シーズン2回目のミラノダービー自体が並外れたものだったね。ハーフタイムでは1-0でリードしていたが、選手は10人。スタジアム中には緊張感が高まり、選手たちは喜んでいないことは見て取れた。 私は助けたかった – 私が控室に登場すれば選手へのサポート姿勢を表現できると思ったよ。そんなことは頻繁にやらなかった。実際に滅多にしないよ。私が控室に入った時、目の前の光景にショックを受けた:選手たちは静かに座っていた。

真ん中にはジョゼ・モウリーニョがいた。私ができた唯一のことは、静かに彼の指示を聞くことだけだった。指示は精密で有効だった–数的不利の状況に役立つ戦術的指示。だが彼らもモチベーションに満ち溢れていた:「チーム2点目のチャンスを得る場面を見る」

 キエフとロンドンはCL優勝に関して極めて重要な瞬間だったね、私はウクライナに行かなかった。常に問題を引き起こしていたあのシェフチェンコ擁するチームと対峙したよ。同じミスを繰り返さないことが重要だった - 数年前にキエフでチャンピオンズリーグ決勝トーナメント出場権を取り逃がした。同試合の最終結果は記憶に残っているよ、2得点に関与したディエゴ・ミリートは素晴らしい選手だった。そしてチェルシー戦では本格的な新時代到来のパフォーマンスをした。

 バルセロナ対インテル戦について多くの場合、記憶に残るのは試合終了の笛だ…私の喜びとバルセロナ会長と握手するため自分を落ち着かせた方法もね。

 

だがその数分前、カメラマンが私を見つけ出す前に異なることが起きた。

心の中で衝動の痛みを感じた。

時間は止まり、何も聞こえなかった。主審が一歩踏み出し、振り向いてフリーキックを与えた。 その瞬間から時間が再び動き始め、視界には色が溢れ戻っていた。私の右側ではジョアン・ラポルタがジャンプして喜んでいた。私は席から彼の左腕で叩いて「認められていない」と言った。実際にボージャンのゴールは取り消された。

 我々には素晴らしいグループがあった。団結した良い人間が溢れていたチーム。例えばキヴと彼の酷い怪我が頭の中にあるコンビ医師は現状で何が起きているか理解する上で重要な役割を果たした。その後キヴは非常によく対応し、非常に早期な実戦復帰への突き進む真の勇気を示した。それは重要なメッセージを送ったね。マイコンも毎試合で同様のことをした。彼と契約を締結した時、あんな素晴らしい選手になるとは思っていなかったが、チームにとってもう一人の特別なフォワードみたいだった – 本当に異次元だったよ。

 10年前の今日、希望に満ちた私はシエナに向かった。インテルファンが共有する希望。周知しているスタジアム内の小さなピッチ上での闘いなると分かっていた。結果的に非常に良い誕生日に変貌したよ。時折困難だがエキサイティングだったことは認める必要がある。だが我々には喜びがあった、マドリードでね。

 愛する人を亡くしたことがあるなら、頻繁に亡くした人物を考える自分がいることに気がつくだろう。マドリード決勝は私にとっても同じだ – 現在でもね。 ベルナベウの試合までの試合結果、決勝でのミリートのドッピエッタ、全てが実を結んだと同時に心の中には3人の人物がいた。

 生粋のインテルの男、機知で言葉を述べるペッピーノ・プリスコ

 ジャンチント。彼は本当にこの3冠達成を見るに値する人物だったから、深い失望感を感じた。彼との会話、選手の契約に関して彼にアドバイスを求めること、全てが恋しかった。

 私の父親アンジェロ。父とは常に非常に緊密な絆を持っていた。彼はすべてを教えてくれて、私の考え方を形成した。彼にこの最高の成功を捧げることができなかった。彼に敬意を示すために、私は息子にトロフィーをミラノに持ち帰らせることにしたよ。

 ベルナベウで試合終了の笛が吹かれた時、幸福感しか感じなかった。完全なる喜びに満ちていた。

 

 優勝から2日後に私はモウリーニョと会ったね、ミラノ市内にある自宅でのディナーに誘った時だ。テーブル中央にある普通ではない物で彼を驚かせた:最も素晴らしい贈り物生まれたばかりの私の孫とチャンピオンズリーグトロフィー。本当に素敵な夜だった、温かさと愛情で溢れていた。そして誰もが話していたが我々は決して言葉にしなかったあの秘密について話をした – なぜならそれが正しかったからだよ。

 そのすべてが10年前に起きた。あの時の記憶が色褪せることなく、当時の感情も消えることはない。今はインテルのホームに新しい家族がいる – 我々の情熱を共有する家族だ。スティーヴン・チャンは頻繁に私に、このクラブ会長として働くことを誇らしく感じると話した。彼は若く、賢く、認識力に長けている。彼はインテルの男だ。

インテルファンを表現する方法は一つしかない:。全員が本質、欠点、それに付随する美徳を持っている。インテルのブラック&ブルーへの無条件の愛は我々のものだ。

 

そして今後もそうあり続けるだろう。

 

マッシモ・モラッティ

 

powered by Pirelli


Versión Española  English Version  Versi Bahasa Indonesia  Versione Italiana 

Inter Hall of Fame | The Moratti family

Load More