ミラノ発 - 第3回となるインテル・ホール・オブ・フェームの投票が始まった。今年は3冠達成のチームから、既に現役を引退した選手達もノミネートされている(投票基準、方法についてはこちら)。前回、前々回同様、インテルのファンはゴールキーパー、ディフェンダー、ミッドフィルダー、フォワードの各ポジションから1選手、計4名のレジェンドに投票が可能だ。
ホール・オブ・フェーム2020 POWERED BY PIRELLI: 投票はこちら
過去2シーズンの受賞者:
- 2018年:ワルテル・ゼンガ;ハビエル・サネッティ;ローター・マテウス;ロナウド
- 2019年:フランチェスコ・トルド;ジャチント・ファチェッティ;デヤン・スタンコヴィッチ;ジュゼッペ・メアッツァ
本日29日はホール・オブ・フェームにノミネートされたGKに焦点を当てる:ゼンガとトルドに続き殿堂入りを果たすのは、次の10選手のうち、どのGKだろう?最低60試合に出場、最低1タイトルを獲得したことがノミネートの条件だ。
ノミネートされたGK達はインテルの全歴史の中から選ばれた:初のスクデット獲得から18回目のリーグ制覇に至るまで、インテルの背番号1(ジュリオ・セザールの場合は背番号12)は、長い歴史の中で成功への道を歩んできたのだ。GK達が極めた栄華の数々を紹介する。
イヴァノ・ボルドン (1951年4月13日)
インテルとの間に存在するこの上なく強固な絆、それは既にユースチームにおいて生まれていた。その後19歳のボルドンは2試合で大活躍を見せる:その2試合とは#DerbyMilanoと、メンヘングラードバッハでの悪名高い「空き缶事件」の起こった試合の後半のことだ。ボルドンは1970年から83年までインテルのゴールを守り382試合に出場、ネラッズーリにおける最長無失点記録(1979-80シーズン第4節から第11節までの686分)を打ち立て、2度のスクデット獲得(71年、80年)と2度のコッペ・イタリア制覇(78年、82年)を成し遂げた。
ロレンツォ・ブッフォン(1929年12月19日)
ACミラノでリーグタイトル4つを勝ち取った有名なライバルであり、1960年代初頭のネラッズーリの勇敢な守護神。インテル選手として通算89試合出場爽快なスタイルで、1962-63シーズンのセリエA優勝を果たした。
アンジェロ・カイーモ(1914年7月14日 – 1998年5月10日)
1939-40シーズンから1942-43シーズン、アンブロシアーナ・インテルに在籍して1940年にスクデット獲得。
ピエロ・カンペッリ(1893年12月20日 – 1946年10月20日)
インテル初のスクデット獲得時のGK選手:1909年から1925年に在籍、通算179試合出場。1920年に新たなリーグ優勝を成し遂げた。
ジュリオ・セザール(1979年9月3日)
2005年から2012年までインテルGK選手として活躍。ブラジルからの鳴り物入りではない加入だったが、背番号12を背負って徐々に先発メンバーに名を連ねた。通算300試合出場、歴史的なセーブ(メッシのゴールチャンス)、手に入れられるほぼ全トロフィーを獲得:スクデット5回、イタリアン・スーペルカップ4回、コッパ・イタリア3回、チャンピオンズリーグ1回、クラブザW杯1回。
ヴァレンティーノ・デガーニ(1905年2月14日 – 1974年11月8日)
異常なまでの俊敏さを兼ね備えていたデガーニは1924年から1938年までアンブロシアーナ・インテルで通算176試合出場。インテルゴールを守った1929-30シーズンにスクデット獲得。
ジョルジオ・ゲッツィ(1930年7月10日 – 1990年12月12日)
ネラッズーリ『神風』:大きな個性で大胆不敵。1951年から1958年までインテルに在籍。1953年と1954年に2年連続スクデット獲得。ネラッズーリの象徴だった故人は現役引退後に偉大な起業家となった。
ジャンルカ・パリュウカ(1966年12月18日)
ワルテル・ゼンガの後継者の責務を果たすのは誰にとっても難しいタスクだったが、パリュウカは違う:インテルで素晴らしい5シーズンを過ごした中で忘れられないセーブを披露。通算234試合出場、1998年UEFAカップ優勝。
ジュリアーノ・サルティ(1933年10月2日 – 2017年6月5日)
グランデ・インテルチームを支えた男:誰からの目にも極めて冷静なGKだと見られていた。気取った要素はなく、多くの濃い中身を持った人物:全部の基本要素を兼ね備え、襲いかかる相手アタッカーを封じ込めた。同故人は革新者であり、ピッチ上でチームをよりコンパクトにした。グランデ・インテルで通算198試合出場、数多くのタイトルを勝ち取った:スクデット2回(1965年、1966年)、ヨーロピアンカップ2回(1964年、1965年)、インターコンチネンタルカップ2回。最も重要な決勝で勝敗を分ける力を発揮した同故人が犯したマントヴァでのミスは当然許されるだろう。
リード・ヴィエリ(1939年7月16日)
1969年から1976年間で通算199試合出場、1970-71シーズンのスクデット獲得、バロンドールを獲得しても不思議ではない無失点記録(685分)を樹立した。
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