FCインテルナツィオナーレ・ミラノがマウロ・ベルーギを追悼

FCインテルナツィオナーレ・ミラノがマウロ・ベルーギを追悼

 偉大なる人物、選手であり真のインテリスタが本日20日、我々の元を去った

 サッカーがこれほどまでに愛される理由の1つは、サッカーの物語が人生の物語になるとき、選手は単なる王者のみにとどまらず、人々にとっての規範ともなるからだ。正にマウロ・ベルーギがそうであったように:闘士であり、忠義に厚いチームメイトであり、敬意を表される好敵手。

 かつてディフェンダーだったベルーギにとり、インテルは運命の出会いだった。自身の人生を変え、永遠のインテリスタとなる機会を同選手は拒むことなどできなかった。

 ネラッズーリのユースチームでは中盤でプレーし数々のゴールを決めた。1969年にはトップチームに加わり、エレーラと将来担うべき役割について協議。ベルーギに課せられた任務はネラッズーリのゴールを死守することにあった。スアレス、コルソ、ボニンセーニャ、マッツォーラといった偉大な王者や友人が攻撃を引き受け、ファイナルサードでの仕事は必要なかった。だがただ1度だけ、ベルーギが得点を挙げたことがある。1971-72シーズン、ヨーロピアン・チャンピオン・クラブズ・カップのラウンド16対ボルシア・メンヒェングラードバッハ戦1stレグでのことであり - それはべルーギにとり忘れることのできない経験となった。

 「当時、ディフェンダーがハーフウェイラインを越えることは容易ではなかった。私の仕事は守備で、ストライカーはゴールを奪うことに集中せねばならなかった。なぜ自分がそこにポジションをとっていたのかはもう全く思えてはいない。エリア手前に落ちたボールを本能的に蹴ると、皆が私を抱きしめるために駆け寄ってきた。私は何が起こったのかすら理解できてきなかったんだ」。

 1969年から1974年にかけ所属し、137試合に出場したネラッズーリで経験した最高の瞬間は、ベルーギが自身のプレースタイルだけでなくサッカーと人生に注いだ愛情を体現した持てる限りの熱意と決心で勝ち取った、1970-71シーズンのスクデットだ。偉大な足跡を残すための戦いから、人生の最後に挑んだ戦いに至るまで、常に闘士としての精神が同選手をを定義していた。2月7日に71歳になったベルーギは、最後まで強さと希望のメッセージを世界に発したいと願い続けた。ベルーギはサッカーと人生の美しさ、闘い抜く価値のある人生について語り、常に認められた - ファン、チームメイト、対戦相手、そしてベルーギの中に、今こそ正にかけがえのない、素晴らしい人生の規範を認めた人々に。

 ベルーギの物語には、強さ、決意、幸福、愛、そして希望が込められている。

 さようなら、マウロ。


Versi Bahasa Indonesia  Versione Italiana  Versión Española  English Version 

Load More