タルチシオ・ブルニチの逝去をFCインテルナツィオナーレ・ミラノが哀悼

タルチシオ・ブルニチの逝去をFCインテルナツィオナーレ・ミラノが哀悼

 アズーリとネラッズーリの英雄、苛烈な闘士、厳しく、常に忠誠心を忘れない。本日26日、歴史の一部を成すグランデ・インテルの 「ロック」が別れを告げた。

 常に側にいてほしい人物、常にチームにいてほしい選手、常に歴史の一部であってほしい伝説が存在する。タルチシオ・ブルグチはクラブの強さと価値を体現し、インテルは同氏がネラッズーリ・カラーのために闘う姿を見守る特権を手にした:威風堂々として苛烈、謙虚で常に忠誠心を忘れない。

 グランデ・インテルの歴史に自らの名を記し、ピッチ上で見せた素晴らしい気質と人格で、ネッラズーリファンの脳裏にその姿を克明に刻んだ。堅固たるディフェンスを築き、あらゆる強敵を跳ね返す準備ができている、競技、そして精神面で完成された王者インテルにおいて、ジャチント・ファッケッティと共に世界最強の両サイドを形成した。

 その試合と同様に、常にブルニチは胸に熱意を秘めていた。ネッラズーリ加入から2年後、「スティッカーでしか目にしたことのなかった」プシュカシュ、ジェント擁する、聖なる怪物ことディ・ステファノ率いるレアル・マドリードとの決勝戦を戦った。その日、彼は王政を覆すことに成功しインテルのトロフィールームに初の欧州カップをもたらした。そしてその正しく1年後となるサン・シーロにおけるエウゼビオ指揮下のベンフィカ戦でもそれを再現してみせた。

 インテルでの12シーズンで4度のスクデット獲得、2度のチャンピオンズ・カップとインターコンチネンタル・カップ制覇を成し遂げ、6ゴールを挙げ、467試合でネラッズーリの牙城を守り、アルマンド・ピッキが命名した様な誰もが知る「ロック」を目指し日々試合に次ぐ試合、トレーニングに次ぐトレーニング、努力を重ね続けた。トレーニングキャンプでは永遠の英雄ジャチント・ファッケッティと常に一緒だった:「妻とよりも、彼と一緒に寝た時間の方が多かった」とブルニチは絶えず口にした。優勝を果たした1968年の欧州選手権、準優勝を決めた1970年メキシコ・ワールドカップでもイタリア代表も主力を担い、準決勝のイタリア対西ドイツ戦(4-3)では2-2の同点ゴールを挙げた。アズーリでは66試合に出場し、選手として、また監督としてサッカーに人生を捧げた。

 謙虚でありながら鉄の意思をもち、敵に対しては圧倒的な壁となり、チームメイトにとってはかけがえのない存在だった:同氏の誇りに満ちた眼差しとその堅剛さは無上の思い出であり、我々の歴史に褪せることなく刻み込まれている。

 さらばタルチシオ、あなたは永遠に我々の「ロック」であり続ける。

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